コルビジェがカップマルタンを選んだ理由は何だろう?
静かな入り江で、山側を見上げるとその中腹に中世の町ロクブリュヌ村があり、風光明媚な立地だからなのか、よほどこのカップマルタンを好きだったのか、コルビジェと妻イヴォンヌの墓は、ロクブリュヌ村にほど近い海の眺めの良い墓地にある。
帰国後調べ始めると、意外なことを知りました。
カップマルタンのはじまりは、
アイリーン・グレイ。
当時親密な間柄と言われていたジャン・バドヴィッチと夏の家を建てる土地を探しあてたところがカップマルタンでした。当時インテリア関係の仕事で成功していた彼女は、カップマルタンの夏の家の設計に没頭し3年を費やしました。
1929年に完成した夏の家は E1027 と名付けられます。
EはEileen、アルファベッド10番目のJ=Jean 2番目のB=Badovici、7番目のG=Gray
その後、名作 E1027は 芸術家たちが集まる場となり、その中の一人がグレイと親交のあったコルビジェであり、この家を相当気に入り絶賛していました。
しかしその後、コルビジェはE1027の壁に、彼女に断りもなくフレスコ画を描いてしまいます。
バドヴィッチがOKを出したという話もありますが、本当の真相は3人にしかわかりません。その後のゴタゴタについては書く気も失せる内容で、私の良い思い出のカップマルタンの印象も悪くなるので
こちら や この
雑誌で。アイリーン・グレイは、この事件を機にデザイン界の表舞台から姿を消してしまいます。
休暇小屋ができたのは1950年。コルビジェ63歳のとき。
ヴァカンスとクリスマスの休暇に休暇小屋を訪れていたという。
静けさを求めてカップマルタンと思いきや、彼は
リゾート開発を企てるのですが実現しませんでした。
1965年の夏、コルビジェはカップマルタンに滞在中、この海で帰らぬ人となりました。

調べてみて、カップマルタンで感じた「謎」のことが自分の推理のなかで解けてしまって
あーそういうことだったのか、と思うと同時に、E1027は本当に良い別荘だったに違いない
それは、休暇小屋の存在以上に注目されてもおかしくはない名建築であると感じています。
アイリーン・グレイの E1027 は今改修工事をしています。
今後公開も予定されているという話も聞きました。
出来上がった頃の姿に戻れば、すばらしく良い空間が再現されることでしょう。
私個人的な希望ですが、フレスコ画のないE1027 に戻ってほしいなと願っています。
↓カップマルタンの休暇小屋について書かれている本
- 2008/06/28(土) 00:30:39|
- カップマルタン
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